教会にある神様の力  

 

■好きかってをした人生
 
私は、幼いころから施設にて育ちました。小学校入学とともにいじめにあうようになりました。髪の毛がくせ毛、親がいないことでいじめられるようになりました。クセ毛でうまれたくて産まれたわけじゃない。施設に入りたくて入ったわけじゃない。私は、産んだ母を恨み、酒のみ暴力、暴言をいう父をうらんでいました。両親そろっていて良いな~と妬む日々でした。学校に行くのも本当にいやで仕方ありません。行事があると、両親が来るのに私は施設の先生だし、運動会の弁当も前日に作った冷たいおにぎり。施設でも毎日怒られっぱなしで、自分がこの世に存在しているのが嫌になるばかりです。学校帰りも線路に入って死のうと考えても、度胸もなく独りで泣く毎日でした。

 幼いころから、どうして私はこの世に誕生したのか?どうして親に捨てられたのか?苦しいことばかりで、何一つうれしい事がない。中学校になっていじめはエスカレートするばかり。勉強も気なしで、バカ扱いされ、メデューサーとあだ名までつけられ、私を見ると、石になり固まり、こっち見るな、汚いものを見るかのように、思い出すと涙が止まらない気持ちで胸が苦しくなりました。義務教育の9年間ずっといじめが続いていました。中学卒業後、施設を出て働きました。仕事も施設で決められた床屋。そこでも施設育ち、世間を知らない私は、人と接するのが嫌になり、やめたいと思うようになりました。床屋の主人は、私に施設育ちをバカにし、私の心は、施設は地獄。人なんて信用せず自分のやりたい事をしようと決めました。

■母子寮での生活

 夜の水商売をし、シンナーを吸い覚せい剤をやり…と好き勝手しました。やくざと付き合って覚せい剤をやり続け、結婚しても1年後には、離婚。24歳で2回目の結婚。結婚しても、夫は傷害で刑務所へ。捕まって初めて夫がやくざだとわかりました。出産も独りで長男が誕生し、独り子育てが始まりました。長男勇気が4ヶ月で夫は出所しました。子育てしながら、ずっと覚せい剤をやっていました。2人目を妊娠し、産むか下ろすかの話し合いが始まり、話し合った結果産むことにしました。産むことに決めてから、私は覚せい剤をやめようと決めました。そんなとき、夫が車の事故をおこし、前科があるので尿の検査をされ、夜中そのまま逮捕されました。2年刑務所。私は2人目、港喜も独り出産、子育ても独り。今度は2人子育て。下の港喜はアトピー、喘息で年に6回は入院。夫が出所後も夫婦ゲンカばかり。夫の暴言暴力。夫は、寝室にいきなり灯油をまいて、子どもと私を殺そうとしました。怖くなり子どもを連れて、近所の家へ逃げました。暴力を受けた人たちの避難する施設へ連れて行かれ、一ヶ月後三重県の母子寮で生活することになりました。

■賛美をとおして神様にであった 

 母子寮での生活も、私は子どもに怒ってばかりで、そこの施設長に怒りすぎと言われてしまいました。母子寮で知り合い仲良くしていたRさんも私から離れて行きました。そんな時、となりにYさんがきました。Yさんは神を信じている人でした。苦しい中でも喜んでいる。私から見たら不思議でした。あるとき、YさんがCDをくれました。そのCDは、イエス・血潮・愛とかの歌。初めて聴く音楽でした。けど、聴くうちに自分が変化していきました。子どもに怒り、暴力が少なくなりました。教会でもらったCDも聴いてみると、私もびっくり涙が止まらないのです。賛美で心が温かくなりました。教会にも誘われました。教会で賛美が聴ける。教会で賛美を聴くと涙が流れ出し、賛美で神にふれられました。
 
 賛美をとおして、イエス様を信じイエス様に救われました。私のすべての罪を十字架にかかってくださり、死んでも天国に行ける。こんな私を四日市シオン教会に導いてくださり、それからは、港喜はアトピー、喘息で入院を一回もしていない奇跡を神に感謝しています。そして、イエス様が私と子どもに最大の家族を与えてくださり、神の家族の一員となれたことを、心から感謝します。
 
  中島幸子
                                                 


 

   教会では問題のためにお祈りいたします。教会にお越しください。