今から半年ほど前になりますが、母が仕事から帰って来て、体調が悪いと体の不調を訴え、目まいとふらつきがあり、意識がふーっと遠のいていくと言い、すぐに布団に入り横になりました。
単なる体の疲れで明日になれば、と言う感じで思っていました。
しかし、次の日の朝、起き上がることもできないほどの目まいがあり、全然良くなっていないのです。
今まで、これといって病気もした事もなく、感謝な事に、寝込む事などなかったので、本人もちょっとおかしいということで、しばらく仕事はお休みさせてもらうことにし、安静にすることにしました。
■ただ祈るのみだった
日によって体調が変化する状況で、ひどい時は寝ていても目が回る、頭から肩にかけて血管がつまるように重い、どうにもならない違和感、体の震え手足のしびれ、全く体を動かすこともできない時もあり、救急車を呼んで病院へ運んだこともありました。
何が原因なのか、持病の高血圧が原因なのか、かかりつけの内科を初め、脳外科、整形外科、耳鼻科、ありとあらゆる病院へ行き、CT検査、MRI検査、たくさんの検査を受けて調べてもらっても、これといって大きな異常は無いと言うことでした。
異常が無かったことは良かったことなのですが、逆に、じゃあ何が原因なのか、不安と恐れで、本人はとても苦しかったと思います。
私たちも、ただ祈ることしかできず、年齢も76歳、このまま天に帰るかなあ?と思いました。
■信仰の試しの中で
普段からあまり愚痴を言わない母ですが、何日も、何カ月も続く症状の中で「なんで良くならんのやろー。感謝が、まだまだ足りやんのやなあ」と…。
礼拝のメッセージで教えられた「全てのことを感謝する」ことをやり続けても、何も動かない、変わらない症状に落ち込むこともありました。
しかし、教会に行くと体が楽になる、毎回いやしのために祈っていただき、ただ居るだけですーっと気分が良くなり、教会に満ちている神さまの力を体験していきました。
神さまは、母にはっきりわかるように、神さまご自身を現されていきました。
そして、病の苦しみの中で、教会に行くこと、神さまを信じること、徹底して祈ること、全てを感謝すること、これしかないと信仰が強められていきました。
少しづつ、体調も良くなりかけた時、また首から肩にかけて詰まるような圧迫と痛み、そして、目まいでダウンしてしまいました。
今思うと、これが最後の試しでした。
■「イエスさま、治してください」
母は、自分で肩に手を置いて「イエスさま。治してください!」と真剣に祈り叫んだそうです。
その時、一瞬にして痛みが無くなり、いやされました。
また、7月のパトモスチームが帰ってきた直後の礼拝で祈っていただき、母は、聖霊のバプテスマを受け、「目の前が明るくなった。何これは〜!」と喜びに満たされ、そこからまた大きく変えられていきました。
■神さまとの交わりへ
原因不明だった病も、完全にいやされて、今は仕事は辞めて、朝昼晩と四六時中、神さまと交わっています。
夜は必ず9時ごろになると、自分の布団の上に正座して賛美を何曲か歌い、祈りの時を持っています。
始めのころは30、40分ほどの時間でしたが、今では1時間の交わりとなり、部屋から出てくると「足がしびれた〜」と言うぐらい、真に神さまと交わっていることを見ることができています。
また一緒に生活していますので、私たちに、いろんな困った事があるのを、母も見ることがあります。
そのたび、「大丈夫!イエスさまが、してくれる。祈って感謝しとれば、必ず上手くいく。もし、あんたの願う通りにならんでも、それが良かったことやし、それが正解や!」と、励まされることもしばしばです。
教会でもいやされた証しをさせていただき、「病が起こって、苦しんだことは、全部、私のためだった。そしていやされたこと、あの苦しみから解放されたことが、嬉しくて嬉しくて、全てイエスさまのおかげです。ハレルヤ!」と何度も両手を上げて主をほめたたえ、「これからの人生、まっすぐイエスさまだけを信じていきたいです」と語っていました。
■聞き従いの祝福
神さまは、母をいやしてくださいました。それだけでなく、聞き従うことは祝福であることを、霊の内に開いてくださいました。
聖書を通して語ってくださった通り、「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです」(ローマ人への手紙8章37節)となりました。
いやしてくださった神さまに感謝するとともに、全ての栄光を主にお返しします。
山下令子(み声新聞 704号掲載)