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長い間の不登校生活
私は、小学校から高校まで不登校を繰り返し、ほとんど学校に通うことができませんでした。
毎日部屋に閉じこもり、日曜日に教会に行くだけの生活を送っていました。
特に、高校は義務教育ではないため、出席日数の少ない私にとって卒業は不可能でしたが、神さまの奇跡で卒業することができました。
それだけでなく、神さまは大学進学の道も開いてくださいました。
神が導いた大学へ
大学受験ではいくつかの大学を受験したのですが、1校しか受からず、しかもその大学は1番行きたくなかった滑り止めの短大で、保育科でした。
しかし、その大学が神さまが導いてくださったポイントの大学だったのです。
長い間不登校だったせいか、私は子どもが大嫌いで、子どもの泣き声を聞くとおかしくなりそうでした。
このような状況で、大学に通えるのか不安でしたが、神さまは「安心しなさい。あなたの祈りはすべて届いている」と語ってくださり、神さまがこの大学に導いてくださったと確信し、入学しました。
その時、私はすでに神さまによっていやされ、ハードな大学生活でしたが休むことなく通うことができたのです。
それだけでなく、大学に通う中で、神さまから「孤児院で神さまに仕え、孤児たちを助ける」という召しが与えられました。
諦めかけた神さまの召し
卒業後に神さまのみこころの道に進めるようにずっと祈っていました。
就職を考える時期になって、日曜日が休みで、偶像の行事がない保育の仕事を開いてくださいと祈り、探していました。
その条件にあった就職が見つからない中で、キリスト教の幼稚園の求人の募集を学校で見つけ、条件にあっている!と思い、焦って面接に行きました。しかし、その幼稚園は見事に落ちてしまいました。
再び、御心の仕事が見つかるように祈り続けました。
保育の仕事を探すのに、偶像の行事を避けることは不可能なのかもと思い始めましたが、神さまは妥協してはならないと明確に語ってくださいました。
カリスマ聖会でも就職のために祈っていただき、「焦らずに待ちなさい。祈り続けなさい。ここだ!という場所が必ず開かれる」と神さまに語られました。
そのことばを受け、祈り続け、待ち続けましたが、大学を卒業しても全く開かれず、私は諦めかけ、召しも離しかけました。
パトモス派遣へ参加
そんな中、7月に群れの教会のポイントの派遣として、パトモスに海外派遣のチームがあり、その申し込みが始まっていました。
神さまはこの派遣に、私を導いてくださいました。
私は、神さまに期待してこの派遣に参加しました。
この派遣の中で神さまに「人生のポイントは神さまから与えられた召しを全うすること」と語られました。
そして私は、諦めかけ、離しかけていた召しを再び握りました。
パトモス派遣で召しのことばを握り、たくさんの祝福、恵みを受けることができました。
神さまを第一とする条件で
帰国後、すぐに、児童養護施設・乳児院の求人募集を見つけました。
条件を見ると、365日の施設ですので、日曜日出勤と偶像の行事は避けられないようでした。
しかし、神さまの導きかなと思い始め、みこころなら働けるように祈りつつ、面接を受けに行きました。
面接で、「私はクリスチャンです。日曜日は礼拝があるので休みが欲しいです。また、ひな祭りや七夕などの偶像の行事は一切できません」と話しました。
やはり、施設の方はそれは難しいというような顔をし、沈黙が続きました。
やっぱりダメなのかなと思ったとき、施設の方が「分かりました。あなたの条件で採用します。あなたのような人が今必要なんです」と言ってくださり、採用してくださいました。
召しに向かって歩む
そして私は今、神さまが導いてくださった児童養護施設・乳児院で働きながら、召しに向かって歩き始めています。
今は、心も体も完全にいやされ、自分でも驚くほど、元気に喜びに満たされ働いています。
召しに向かって歩むとき、今までにないほど自分が輝き始め、神さまからの喜びに満たされています。
私は、0―2歳児の子どもたちのお世話をしています。
その子どもたちを抱っこしたり、授乳しながら、子どもたちの救い、祝福のために祈る時も与えられています。
私は、多くの苦しみの中でたくさんの神さまの愛を受けてきました。
このような神さまの大きな愛を、傷ついた孤児たちにも知ってほしいと願い、孤児たちの救いのために祈っています。
神さまに人生を捧げて生きる
今、振り返り、いじめ、不登校などさまざまな試練、問題の中にあっても、いつも神さまは共にいてくださり、励まし、いやし解放し最善の道へと導いてくださいました。
今までの私の人生において何一つ無駄なことはありませんでした。
これからも、自分の生涯のすべてを神さまに捧げ、従い歩んでいきたいと思います。
全ての栄光を神さまにお帰しします。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ人への手紙8章28節)
永戸麻利也 (み声新聞731号掲載)