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母は、新興宗教へ
私の母に、神さまがしてくださった素晴らしい恵みをお証(体験談)し、したいと思います。
今をさかのぼること50年前、母は病を通して、母の妹から新興宗教に導かれました。
母は、熱心に朝夕、仏壇に手をあわせ、毎日お経を唱え、毎日お百度を踏みに行くようになりました。
家には呪いの札が貼られていたり、母の新興宗教への信仰は深まって行きました。
私が中学に引っ越した時に、家の隣の人に嫌がらせをされたりしました。
いくら祈っても、新興宗教ではなんの解決も受けることはできませんでした。
その後、父は他界し、母一人と子供達の生活が始まりました。
聞こえない声を聞くようになった
母が70歳の頃、母の妹のご主人の介護を手伝うことになりました、
1カ月ぐらい経った頃から、両膝が痛くなり、踏ん張りが効かなくなりました。
それでも、母は4カ月間、介護を頑張り通しました。
家に着くとほっとした気持ちの緩みから、体が崩れるように倒れていきました。
起き上がることができなくなり、その後、医者に行き、手術をしました。
手術後の経過が思わしくなく、薬を飲みましたが、頭が割れるようにいたくなり、声も出なくなりました。
その後、自分が棺桶に入れられている夢を見るようになったそうです。
母は、必死で「子供たちに会わせてください」と叫んだそうです。
正気に帰ることができましたが、それから、聞こえないはずの声が聞こえるようになり、見えないはずのものが見えるよう になって、一人では生活ができなくなったのです。
私たち家族との生活
私の家族との生活が始まりました。
精神科医を探し、相談することになりました。
治療は薬物療法と面接を通して、人間関係の改善や社会適応能力の向上を図るための指示や助言でした。
そんな方法で治るはずがありません。
本人しかわからない幻聴、幻覚、現実にはありえない妄想との戦いでした。
家に来たばかりの頃は、普通に生活をしていたのですが、ある日、突然、「テレビに兄が出ている」と言うのです。
テレビは、お昼のお笑い番組でした。
「兄がテレビに出ている? 本当に? 」よく見ると母は、見ず知らずの人を指差していました。
それから、幻聴が始まりました。
何度も部屋に来て、「名前呼んだ? 」と聞くようになりました。
そのうちに「誰かが、読んでいる」と言って突然、外へ飛び出して行くのです。
玄関に鍵をかけました。
次に、玄関に鍵がかかっていると窓から出て行くのです。目が離せない日が続きました。
冬の寒い中、裸になったり、私たち家族に、わけのわからない指示をするようになりました。
夜になっても正座したままで、ただ黙ってうつむいて、次の指示を待っているようかのようでした。
体を横たえることも、眠ることもできない母の姿を横目で見ながら、こんな状態がいつまで続くのだろうかと途方にくれていました。
イエス様助けてください
母の寝顔を見ながら、神さまに祈りました。そして、聖書を開いて御言葉を求めました。
その時、母の息が止まりました。「お母さん! 」と叫んでも答えがありません。顔を叩いても返事が返ってきません。
「神さま! 助けて」と叫びました。すると間もなくして、母が目を覚ましました。
母は、「今、霊界に行ってきた」と話しました。
私は、驚きました。神さまに祈っていなかったら、このまま帰らぬ人となっていたかもしれません。
私は、母にイエス様のことを伝えました。
母は、「イエス様、助けてください」と祈りました。
神さまは、母を地獄から救い出してくれました。
教会へ通う
それから、少しずつ元気を取り戻し、整形外科に行くことができました。
レントゲンを撮ってもらったら、背骨のところが真っ黒に写っていました。
母を教会へ導きました。
最初は、両腕を支えてもらいながら、時は、車椅子を使って教会に通いました。
教会で祈っていただくうちに、砕けていた骨が元の位置に収まってきれいにレントゲンに写っていました。
神さまがいやしてくださいました。
再び幻聴を聞く
教会に行く中で、再び、幻聴を聴いたり、体の節々が痛く、寝れなくなったりしてきました。
祈ってはいたものの、なかなかよくなりませんでした。
その時、教会のある牧師から、洗礼を受けてみてはどうかしらと言われました。
母は、受けるといいました。
私は、母が、イエス様のことをわかっているのか、心配でした。
しかし、母は、洗礼式の時、はっきりと「イエス様のおかげで、助けてもらいました。イエス様のおかげです」と言っていました。
私は、びっくりしました。
洗礼式の祝福
そして、洗礼を受けたあと、母はみるみるうちに元気になっていきました。
それっきり、幻聴を聞くことがなくなり、顔がはっきり変わったのです。
母は、悪霊から解放されたのです。
車椅子で、教会に行くこともありましたが、今では、杖も車椅子も使わずに教会に通っています。
神にとって不可能なことはなく、祈った祈りは必ず聞かれると実感しました。
主に栄光をお帰しいたします。
松野俊子(み声新聞716号掲載)